内分泌かく乱化学物質の健康影響に関する研究
停留精巣
要旨
内分泌攪乱物質と停留精巣に関する疫学研究の現状について、文献的考察を行った。米国立医学図書館の医学文献データベースPubMedを利用して選択した文献は、2000年12月31日までに10件で、介入研究1件、症例対照研究9件であった。2001年1月1日以降は3件で、症例対照研究2件、コホート研究1件であった。日本人を対象にした研究は1件もなかった。Heptachlore-epoxide(HCE)、Hexachlorobenzene(HCB)との関連があるという報告が1件あった。生体試料を用いた内分泌攪乱物質についての報告が2件あり、それぞれ、polychlorinated biphenyls (PCB)、1,1-dichloro-2,2-bis(p-chlorophenyl)ethylene (p,p'-DDE)との有意な関連はみられなかった。有機塩素系化合物などの内分泌攪乱物質と停留精巣との関連に関する研究はきわめて乏しく、今後も研究の必要がある。
研究目的
停留精巣は、比較的頻度の高い先天異常の一つであり、精巣の下降はアンドロゲン依存性に起こることから、胎児期の内外のエストロゲン暴露が、リスク要因の一つであると指摘されている。有機塩素化合物などの化学物質にはエストロゲン作用がある物質もあり、その関連を探ることを目的として、疫学研究に関する文献レビューを行った。
研究方法
米国立医学図書館の医学文献データベースPubMed(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/)を用いて、cryptorchidism AND (insecticides OR pesticides OR chlorinated hydrocarbons OR pesticides OR chlorinated hydrocarbons OR pcbs OR bisphenol OR phenol OR phthalate OR styrene OR furan OR organotin OR diethylstilbestrol OR ethinyl estradiol) AND (human) で文献を検索した。その中から、人集団を対象とする疫学研究の原著論文と選択した。さらに必要に応じて、これらの原著論文や、他の総説論文を参考にして、論文を選択した。
研究結果
1.Polichlorinated biphenyls (PCB)
Mol(2002)らは、出生前PCB暴露と男児の性分化への影響を検討した。1986年3月から21ヶ月間にデンマークにおける3カ所のフェローの病院で出生したコホート群からの196例の男児に対して、14歳時における青少年期発達を調べた。朝採取した尿サンプル中の精子(精液尿)の存在と、二次性徴(ターナー指数)、精巣サイズ、性ホルモン濃度、臍帯血中のPCB濃度を分析したところ、精液尿は思春期発達に対するマーカーと関連を示したが、出生前PCB暴露との関連はみられなかった。また、196例中、20例に精巣発達の異常(停留精巣19例、精巣回転症1例)が認められたが、臍帯血中のPCB濃度は、異常の認められた20例(平均1.99ng/g)と異常のない176例(平均1.85ng/g)で有意な差は見られなかった。
2.1,1-dichloro-2,2-bis(p-chlorophenyl)ethylene (p,p'-DDE)
Longnecker(2002)らは、1959-66年におけるCollaborative Perinatal Projectからコホート内症例対照研究において、停留精巣219例、尿道下裂199例、多乳頭症167例を症例群として、対照群552例と比較した。ガスクロマトグラフィー回収率で補正した母親の血清中DDE濃度を4分位し、濃度が最も低い群(<21.4μg/l)を基準(reference)とした場合、最も高い群(≧85.6μg/l)における、停留精巣、尿道下裂、多乳頭症の、人種・トリグリセリド値・コレステロール値で補正したオッズ比は、各1.3(95%CI=0.7-2.4)、1.2(95%CI=0.6-2.4)、1.9(95%CI=0.9-4.0)となり、有意な関連が見られなかった。
3.その他の有機塩素化合物
Hosie(2000)らは、ドイツにおいて、脂肪中における有機塩素化合物26種類の蓄積量を、停留精巣患者18人(平均年齢4.2歳)とコントロール30人(平均年齢3.5歳)で計測し、比較した。その結果、停留精巣患者においてHeptachlore-epoxide (HCE)(P=0.009)、Hexachlorobenzene (HCB)(P=0.012)が高濃度に蓄積されていた。その他の物質に関しては、有意な関連が認められなかった。
4.ホルモン製剤
DESによる子宮内曝露を受けた男児における症例対照研究においては、尿路生殖器系に悪影響を及ぼすことが指摘されている。Gill(1979)らは、妊娠中のDESの影響を調べるために、妊婦に対してDESとプラセボによる二重盲検無作為抽出法を行った。その結果、DES投与群の妊婦から出生した男児で、停留精巣、精巣上体嚢胞、精巣低形成、尿管狭窄等がプラセボ投与群より多くみられたことを指摘している。Whitehead (1981)らは、DES曝露歴のある48人の男性について、尿路生殖器の異常を調べたところ、主に停留精巣、精策静脈瘤、精巣上体嚢胞、精巣低形成、尿管狭窄などを指摘している。Cosgrove( 1977)らは、DES曝露歴のある男性の健康状況(先天奇形、手術歴、泌尿生殖器系の問題、癌)を質問したところ、尿路生殖器系では、主に停留精巣、尿管狭窄、精策静脈瘤を指摘している。
また、停留精巣のリスク要因に関する症例対照研究において、妊娠中の母親のDES以外のホルモン製剤服用も尿路生殖器系に影響を与えることが、報告されている。Depue(1984)らの、米国でのregistar-based studyでは、停留精巣の白人男児300人とコントロール599人に対して症例対照研究を行った結果、妊娠中のエストロゲン剤服用による悪影響(RR=2.8 95%CI=0.9-8.8)が報告されている。一方、Beard(1984)らの、米国ミネソタ州での、停留精巣男児113人と、診療録より選ばれた対照226人(コントロールⅠ)、出生記録より選ばれた対照226人(コントロールⅡ)による研究では、エストロゲン剤服用(コントロールⅠ:RR=1.3 95%CI=0.5-3.1 コントロールⅡ:RR=1.1 95%CI=0.5-2.6)、プロゲステロン剤服用(コントロールⅠ:RR=1.0 95%CI=0.3-2.9 コントロールⅡ:RR=0.8 95%CI=0.3-2.1)で有意な差が認められなかった。
5.農薬
農業に従事する母親から出生した男児に停留精巣のリスクが増加する、という報告がある。Weidner(1998)らは、デンマークの人口登録、患者登録、不妊症データベースを用いて、両親の農業、造園業への従事と、停留精巣・尿道下裂の発生との関連を検討した(停留精巣男児6177人、対照23,273人)。その結果、母親の造園業従事で有意なリスクの上昇が認められた(RR=1.67 95%CI=1.14-2.47)。農業従事では有意ではないがリスクの上昇が認められた(RR=1.28 95%CI=0.94-1.73)。父親の農業・造園業従事では、関連がみられなかった。(農業:RR=1.08 95%CI=0.93-1.24 造園業:RR=1.28 95%CI=0.80-2.04)一方、Kristensen(1997)らの、ノルウェイの出生登録、人工登録、農業登録により、家庭の農業・造園業・畜産業と、先天奇形の発生との関連を調べた報告によると、停留精巣に関しては、有意なリスクの上昇がみられなかった(OR=0.77 95%CI=0.58-1.03)。しかし、殺虫剤の曝露によりリスクの上昇がみられる、としている(殺虫剤の購入:OR=1.70 95%CI=1.16-2.50 殺虫剤の購入と野菜の栽培:OR=2.32 95%CI=1.34-4.01)。
Wang(2002)らは、停留精巣患児99例(年齢1-14歳:左側30例、右側27例、両側42例)を症例とし、1症例あたり対照例2例をマッチさせて、同一質問票を用いて面談でのアンケート調査で症例対照研究を行ったところ、父親の職業的農薬暴露で有意なオッズ比の上昇が認められた(OR=12.79、 95%CI=2.90-56.43)。
考察
精巣下降は機械的因子とホルモン因子の複雑な相互作用によって生じる結果と考えられ、第1相の腹腔内下降transabdominal phase と第2相の鼠径陰嚢部下降 inguinoscrotal phase の2段階に分かれていると考えられている。精巣下降の第1相は、アンドロゲンの関与は少なく非アンドロゲンのホルモンや、胎児の精巣から分泌されるミューラー管発育阻止物質(MIS)が腹腔内精巣下降をコントロールしていると考えられており、第2相は、胎児精巣Leidig細胞から分泌されるアンドロゲン依存性だと考えられている。
過去の疫学研究においては、母親の妊娠中のエストロゲン製剤曝露やDES曝露がリスク要因として報告されている(Gill 1979, Whitehead 1981, Cosgrove 1977, Depue 1984)。エストロゲン曝露により、精巣下降第1相において関係するといわれるMISの作用を阻害し、また、胎児のLeidig細胞の前駆細胞を抑制することで、第2相に関係するといわれるテストステロンの分泌を阻害し、停留精巣の発生に関連すると考えられている。内分泌攪乱物質である有機塩素化合物のいくつかは、エストロゲンレセプターアゴニストとして作動し、外因性エストロゲンとしてホルモンを変動させることがしられており、過去の疫学研究では、母親の農薬使用によるオッズ比の上昇(Kristensen 1997, Weidner 1998)や、停留精巣患児の脂肪中の有機塩素化合物濃度(ヘプタクロロエポキシド、ヘキサクロロベンゼン)が健常児と比較して高濃度であったこと(Hosie 2000)、が報告されていた。今回、最近の知見について文献検索を行ったところ、症例対照研究で農薬との関連を示した論文が新たに報告されたが、停留精巣患児の内分泌攪乱物質への曝露を、生体試料を用いて定量的に評価した報告では関連が認められず、現時点では、内分泌攪乱物質と停留精巣との関連について、一定した評価をするには、未だ研究が乏しい状況である。今後、信頼性の高い研究デザインと用いた研究の必要性が示唆された。
結論
停留精巣と有機塩素化合物について2004年10月31日までの疫学研究をレビューしたところ、停留精巣患者の臍帯血PCB濃度との関連はないという報告、母親の妊娠中の血清DDE濃度と停留精巣には関連がないという報告、HCE、HCBとの関連があるという報告、があった。その他、農薬やホルモン製剤との関連ありとする論文と、有意な関連はないとする論文があった。停留精巣と有機塩素化合物との関連に関する研究はきわめて乏しく、両者の因果関係を適切に評価することは困難であった。今後、信頼性の高い研究デザインを用いた研究の必要性が示唆された。
参考文献
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