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内分泌かく乱化学物質の健康影響に関する研究

5. 必要な研究の提言

EDCによる人への健康影響を知る上で、疫学研究からの知見は極めて乏しいのが現状であったのに加え、日本人を対象とした研究は殆ど存在しなかった。しかしながら、欧米においては、 PCBや残留有機塩素系農薬の健康影響に対する強い関心から、特に、乳がんを対象として、コホート研究内で保存されている血清を用いた症例対照研究や生体試料測定を含めた大規模な症例対照研究などが複数行われており、重要な科学的根拠を示している。EDCの曝露状況、健康影響が懸念されている疾病の罹患状況、あるいは、エストロゲンなどの内因性ホルモンのレベル、経口避妊薬などの合成ホルモンの使用状況、大豆など植物由来のエストロゲンの摂取量など、交絡要因となり得る要因が大きく異なり、更には、遺伝的素因も異なる可能性のある日本人において、EDC曝露による健康影響が存在するか否かを検証する事は、極めて重要と考える。現在、厚生科学研究費補助金(生活安全総合研究事業)による研究班において、乳がん・尿道下裂・停留精巣・子宮内膜症などの症例対照研究や精子数に関する断面研究などが進行中であり、今後その成果が発表されるものと期待されるが、研究デザイン(症例対照研究や断面研究である)や研究数(各疾病1つ程度)を考えると、それらの結果のみでは、EDC曝露による健康影響についての十分な証拠を得ることは出来ない。
このような状況を脱し、われわれ人間社会に現実に存在し得るレベルでのEDCによる人への健康影響に関して、より質の高い科学的根拠を得るために、以下の様な疫学研究を推進する事を提言する。

1)EDC曝露と疾病の現状把握とモニタリング

EDCの人への曝露状況について現状を把握するために、日本国民を代表し得る対象者を設定し、生体試料中のEDC濃度を測定する。また、今後、定期的に実施し、EDCの曝露状況を継続的に監視することが望まれる。例えば、国民栄養調査の調査項目を拡大し、EDCなどの国民の健康を脅かす可能性のある化学物質の血中濃度などの測定を含めて行く事が考えられる。


米国CDC傘下のNational Center for Health Statistics が定期的に実施する National Health and Nutrition Examination Survey の1999-2001実施の調査 NHANES 1999-2001 においては、Environmental Health Profileとして、血清や尿中の残留農薬、PCB、ダイオキシン類、植物エストロゲン、フタル酸、多環芳香族炭化水素などの測定を含めている。

EDC曝露のモニタリングと同時に、その影響として懸念されている疾病のモニタリングも必要になる。国レベルの統計としては、人口動態死亡統計が最も信頼性の高いものであるが、EDC関連で注目されている乳房、子宮、前立腺、精巣、甲状腺などの部位のがんについては、5年生存率が高く、死亡統計では不十分である。幸いにも、現在、有志地域によるがん登録が行われているために、罹患の現状と動向について、本報告書資料として添付する事が出来たが、人口動態統計と同様、国レベルでの実態把握と継続監視が必要と考える。また、子宮内膜症や精子数、あるいは、器官形成の異常などについても、国レベルでのモニタリング・システムの確立が望まれる。

2)症例対照研究やコホート研究などの疫学を方法論の基盤とした、人を対象とした研究の推進

 ある疾病の発生にEDCの曝露が関係しているか否かを実証するためには、疾病を保有している患者さんについてのみ曝露量を測定しても解決しない。また、職業的にEDCに高度に曝露した人から、EDCとの関連が懸念されている疾病が発生したからといって、それがEDC曝露に関係しているとは言えない。疫学研究の方法論を用いて、可能な限り偶然・バイアス・交絡による誤りを最小限にする努力をした上で、両者の関連を客観的かつ定量的に表現して初めて科学的根拠となる。本報告書では、それらの科学論文を系統的にレビューすることによりEDCといくつかの疾病との因果関係についての結論を導こうと試みた。残留農薬の乳がん罹患に及ぼす影響については、欧米からは数多くの証拠が提示された結果、因果関係を肯定するに至らないという現状が示されたが、生活習慣や遺伝的素因などが異なる日本人に関するデータは皆無であるが故、日本人に対する影響については未知である。また、他の疾病やEDCについては、研究の数自体限られており、今後、大規模かつ質の高い疫学研究の方法論に基づいた研究の推進が望まれる。
 具体的な推進が望まれる研究の例を以下に記す。

各種生体試料保存を含めたコホート研究を基盤とした症例対照研究

EDCを用いた無作為割付臨床試験の実施は、倫理的に許されない以上、EDCの人への健康影響に関して、最も質の高い証拠を呈示するのは、前向きコホート研究において収集された保存生体試料を用いたコホート内症例対照研究である。コホート集団について、がんや子宮内膜症の罹患を把握する事により、複数の疾病について、様々なEDCとの関連を検証する事が可能となる。血清や尿など生体試料中濃度が、EDC曝露をどの程度反映するものなのか、測定機器の精度が、保存している検体量で検出可能であるか、など解決すべき問題はあるものの、EDCの曝露量が多い程、その疾病に罹りやすいか否かについてのデータを得る事が出来る。
現在国内で進行中の大規模コホート研究の中で、血液が保存されている二つの研究(文部科学省研究班によるがんコホート研究[JACC Study]、および、厚生労働省研究班による多目的コホート研究 [JPHC Study] )が進行中であるが、共に、がんについての把握は行われているので、EDCの発がん影響に関する情報を提供する基盤になり得るものと思われる。しかしながら、これらの研究において保存されている血液の量は、EDCを測定するのに十分とは言えない事、採取されたのが主として1990年前後である事などより、将来的にはEDCの健康影響を目的に含めた新たな大規模コホート研究の開始が望まれる。

妊婦や乳幼児を対象としたコホート研究および先天異常に対する症例対照研究

母乳のダイオキシンレベル等EDCと甲状腺機能の関連やPCBレベルが高い魚を食した母の児は神経発達や認知能力の低下、神経機能の障害についての報告があるが、一般人が曝露しているバックグラウンドレベルの低い濃度での影響と機序についてはいまだ解明されていない。特に神経発達への影響の程度、持続性、さらには認知障害のみならず、ADHD(注意欠陥・多動障害)などの行動障害にも関与しているのか、脳の性分化の異常や障害などが引き起こされるのか、などはほとんど未解明である。さらにダイオキシン類の摂取による乳児の末梢血CD8陽性細胞割合の減少など、免疫系に影響をあたえる可能性が示唆されるが、実際にアトピー、喘息など小児期の免疫系疾患との関連も十分解明されていない。
多くのEDCの曝露で神経発達など次世代影響がもっとも鋭敏であることは多くの動物実験でも指摘されているので、妊婦や乳幼児を対象とした人集団での研究、特に胎児期の曝露にも焦点をあてた長期的なコホート研究が望まれる。わが国では、母子手帳の交付をはじめ、数多くの新生児期のスクリーニングなど、すぐれた母子保健の制度がすでに全国的に確立されているので、それらを積極的に活用した大規模な長期的な縦断研究がなされれば諸外国をリードする数多くの知見がえられる可能性がある。胎児期の正確な曝露評価をおこなうこと、生後の発達データとのリンク、など倫理面に配慮した組織だった疫学研究が重要である。
一方、尿道下裂や停留精巣などについては、コホート研究では十分な症例数を得られない事が予想される。従って、これらの疾患については、症例対照研究による対応が必要である。北欧諸国では分娩時の段階で、症例とその前後に生まれた新生児(対照群)に対し、同じ調査表で環境要因をはじめとするリスク要因について、生下時の登録と原因究明の体制が整っている。特に、児が大きくなってからの両親への調査では、記憶のバイアスなど、原因の解明には多くの難しい問題が生ずる。

男性生殖機能への影響に関する問題解決に向けた疫学研究

化学工場の爆発事故や労働作業場での突発事故等による高濃度のEDC曝露に伴う生殖機能障害の事例については、いくつかの文献が認められた。しかしながら、通常の生活環境において、EDCが生殖機能へ影響を及ぼしているのか否かについては、殆ど検討されていない。特に、精液所見などの男性生殖機能への影響については、その手技が統一されていない事に加えて、個人内での変動も大きいために、時代間の推移や地域間の差異などの基本的情報について際も、信頼出来るデータが存在しない。今後、地球規模での統一したプロトコールに則った継時的なデータの集積が必要である。現在、Skakkebeakらを中心とした国際共同研究に、日本も参加し、厳密な精度管理の下に、精子濃度や精子運動率の比較調査が実施されているが、更に、EDC曝露との関連を検証するための断面研究や地域相関研究などの疫学研究に発展させて行く事が望まれる。一方で、精液検査は手間と人手を多く必要としており、生殖機能低下の指標としては必ずしも適切ではない。従って、疫学研究を推進するためにも、新たな生殖機能をあらわすバイオマーカーの開発が極めて重要である。

職域集団を対象とした疫学研究

比較的高濃度の化学物質に曝露されている職域集団を対象とした観察型の疫学研究が、これまでに化学物質のハザード評価およびリスク評価において果たした役割は大きい。日本は職域集団が比較的固定しており、作業環境測定や健康診査などの制度に基づく情報が比較的豊富に存在するため、職域コホートを利用した疫学研究からの成果が期待出来るものと考えられる。研究デザインとしては、EDCに曝露された者を対象とした後ろ向きコホート研究が一般的にはもっとも効率が良いと考えられるが、過去には使用されていなかった化学物質に対しては前向き調査を行う必要がある。いずれの場合も研究の精度を高めるために、複数の職域にまたがった大規模なコホートを作ることが望ましい。今後、新たに内分泌かく乱作用が明らかになる物質が出現し、その健康影響が問題となる可能性もあるため、すべての職域における個々人の曝露情報を登録するシステムを確立しておくことも有意義であると考えられる。エンドポイントが疾患ではない場合についてはエンドポイント評価に適切なバイオマーカーを利用する必要があり、その開発、および指標としての妥当性の検討も急がれる。

3)EDCの人への健康影響に関する研究の継続的な総括とその情報公開

EDCの人への健康影響に関する疫学研究は、国際的な関心を反映して急速に発展し、論文報告の数も増加している。国際的な研究の進展に迅速に対応するために、本報告書で今回試みた、刊行論文のレビューと更新を継続的に実施することが重要である。そして、このような最新の研究状況に関する総括の成果につては、インターネット等を用いて広く国民に周知広報する必要がある。そうした措置を通じて、国民と行政が十分な科学的根拠に基づく情報を共有した上で、EDC問題の理解と対策が促進されるよう努力すべきである。
 

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