多目的コホート研究(JPHC Study)
n-3系多価不飽和脂肪酸、及び魚の摂取と自殺との関連について
-「多目的コホート研究(JPHC研究)」からの成果-
私たちは、いろいろな生活習慣と、がん・脳卒中・心筋梗塞などの病気との関係を明らかにし、日本人の生活習慣病予防に役立てるための研究を行っています。平成2年(1990年)と平成5年(1993年)に、岩手県二戸、秋田県横手、長野県佐久、沖縄県中部、茨城県水戸、新潟県長岡、高知県中央東、長崎県上五島、沖縄県宮古の9保健所(呼称は2010年現在)管内にお住まいだった40~69歳の方々のうち、研究開始から5年後に行った質問紙調査に参加された男女約10万人を2005年まで追跡した調査結果にもとづいて、n-3系多価不飽和脂肪酸、及び魚の摂取と自殺の関連を調べた結果を専門誌で論文発表しましたので紹介します(Journal of Affective Disorders 2011年129巻282-288ページ)。
魚に多く含まれるエイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)といったn-3系多価不飽和脂肪酸は循環器疾患のリスクを下げる栄養成分として知られていますが、精神的な健康に対しても好ましい効果があることを支持する研究データがあります。例えば、ある動物実験では、これらの脂肪酸を摂取させたラットは摂食させなかったラットに比べ、困難な条件において活動をより長い時間、保つことができました。また、国単位での関連性を調べた研究では、魚を多く摂取する国ほどうつが少ないという傾向がみられました。その一方、魚を多食する日本人やイヌイットの自殺率は世界的にみてむしろ高いことや、魚摂取と自殺との予防的関連をみとめていない疫学研究もあり、EPAやDHAを多く含む魚の摂取によって自殺のリスクが低下するのかどうか、よくわかっていません。
全体としては、魚、及びn-3系多価不飽和脂肪酸の摂取量と自殺リスクとは関連なし
本研究では、研究開始から5年後に行なった食物摂取頻度調査の結果を用いて魚やEPA・DHAの摂取量を推定し、2005年までの追跡期間に発生した自殺(男 213名、女 85名)との関連を男女ごとに調べました。解析では、摂取量により男女をそれぞれ5つのグループに分類し、また、年齢や居住地のほか、自殺リスクを高める喫煙や飲酒などの要因を調整しました。
全体でみると、男女いずれにおいても魚の摂取量やEPAとDHAを併せた摂取量と自殺との関連は認めませんでした(図)。EPAとDHAに分けても同様に関連性はありません。
女性では、魚の摂取量が非常に少ない人でリスク上昇
日本人は魚を多く摂取しているため、全体では関連がないとしても、摂取量が非常に少ない人ではリスクが上昇している可能性もあります。そこで摂取量が少ないほうから5%の群について、平均的な量の摂取をしている群(5分位の真ん中の群)と比べてみたところ、女性においては魚で3.4倍、DHAで2.0倍のリスク上昇を認めました。男性ではこのような関連はみられませんでした。
男性の非飲酒者では、EPA・DHAの摂取量が最も多い群でリスク上昇
喫煙・飲酒・持病・ストレスなど自殺リスクを高める要因を持っている人と持っていない人に分けた解析を行いました。層別化した群のほとんどにおいて魚またはn-3系多価不飽和脂肪酸と自殺との関連は認めませんでしたが、アルコールを飲まない男性では、EPAとDHAの摂取量が最も多い群の自殺リスクは最も少ない群に比べそれぞれ2.4倍、3.4倍と、いずれも統計学的に有意に上昇していました。
今回の研究では、全体としては魚あるいはn-3系多価不飽和脂肪酸の摂取が多いと自殺リスクが低下するという予防的な関連は認めませんでした。しかし、女性において魚の摂取が5%未満の非常に少ない群には自殺リスクの上昇を認めました。これらの結果を併せて考えると、n-3系多価不飽和脂肪酸には脳の健康を保つため一定量の摂取が必要であるものの、それを超えて摂取してもさらなる予防効果は得られない、このため、魚を多食する日本人では全体としては予防的な関連を見いだせなかった、と解釈することもできます。
本研究では飲酒習慣のない男性において、EPAやDHAの摂取が最も多い群で自殺のリスクが増大していました。フィンランドとスペインで行われた2つの先行研究でも、魚あるいはEPA・DHAの摂取量が多いと精神的障害のリスクが高いことが報告されています。その理由として、魚の摂取によって体内に取り込まれる水銀が精神神経障害を引き起こすためではないかと論文の著者らは推論しています。しかし、今回の私たちの研究結果は解析対象集団の一部にのみ認められた関連であり、偶然の可能性もあります。全解析集団では関連を認めていないため、日本人全般としてみると自殺のリスクは魚を多く摂取することによって影響を受けることはないと考えられます。
日本人一般集団を長期追跡した今回の疫学研究において、全体としては魚あるいはEPAやDHAの摂取と自殺との関連は認められませんでした。魚は日本人の健康的な食生活を特徴づける食品とされており、実際に循環器疾患の予防効果に関しては確実性の高いエビデンスがありますが、疾患ごとにその予防効果は一様ではないと考えられます。魚を多食する日本人において、魚の摂取に伴う健康上のリスクとベネフィットについて、さらなる疫学的解明が求められます。
今回の研究では、全対象者に実施された食物摂取頻度アンケート調査から5つのグループについて魚の摂取量(中央値)を算出すると、最も少ないグループは男女とも32g、最も多いグループは男性では153g、女性では142gでした。これらの値は、対象者の一部に実施されたより直接的な食事記録調査から算出された値と対比すると、男性では16~28%、女性では1~10%低く見積もっています。
多目的コホート研究などで用いられる食物摂取頻度アンケート調査は、摂取量による相対的なグループ分けには適していますが、それだけで実際の摂取量を正確に推定するのは難しく、また年齢や時代・居住地域などが限定された対象集団の値を一般化することは適当とは言えませんので、ここに示した摂取量はあくまで参考値にすぎません。