多目的コホート研究(JPHC Study)
血中イソフラボン濃度と肺がん罹患との関連について
―「多目的コホート研究(JPHC研究)」からの成果―
私たちは、いろいろな生活習慣と、がん・脳卒中・心筋梗塞などの病気との関係を明らかにし、日本人の生活習慣病予防に役立てるための研究を行っています。
平成2年(1990年)と平成5年(1993年)に、岩手県二戸、秋田県横手、長野県佐久、沖縄県中部、茨城県水戸、新潟県長岡、高知県中央東、長崎県上五島、沖縄県宮古、大阪府吹田の10保健所(呼称は2010年現在)管内にお住まいだった、40~69歳の女性約2万4千人の方々を平成18年(2006年)まで追跡した調査結果にもとづいて、血中イソフラボン濃度と肺がん発生率との関連を調べた結果を専門誌で論文発表しましたので紹介します。
(Cancer Epidemiology, Biomarkers and Prevention, 2011年20巻419-427ページ)
肺がんの最大の原因は喫煙ですが、その他に性ホルモンの影響が関係するという仮説もあり、女性では生殖関連要因やホルモン剤使用との関連が報告されています。イソフラボンは化学構造が女性ホルモン(エストロゲン)と似ているため、肺がんの発生にも影響を与えるかもしれません。食事からのイソフラボン摂取量と肺がんの関連については、多目的コホート研究で検討がすでにおこなわれており、喫煙経験のない男性ではイソフラボン摂取が多いほど肺がんになりにくいこと、喫煙経験のない女性でも同じような関連性があることが示されました。
しかしながら、イソフラボン摂取量では、イソフラボンの代謝や吸収の影響を考慮することができません。たとえば、ダイゼインは腸内細菌によって作用のより強いイコールに代謝されますが、その代謝は人によって異なり、実際に代謝できる人は30から50%程度とされています。血中のイコールを直接測定することによりこの点についてはある程度考慮することができます。しかし、イソフラボンの血中濃度を直接測定し、肺がんとの関連を検討した報告は今までありませんでした。そこで、喫煙経験者が少ない女性で血漿中イソフラボン濃度と肺がんとの関連についての検討をおこないました。
保存血液を用いた、コホート内症例対照研究
多目的コホート研究を開始した時期(1990年から1995年まで)に、一部の方から、健康診査等の機会を利用して研究目的で血液を提供していただきました。今回の研究対象に該当し保存血液のある女性約2万4千人のうち、追跡期間(中央値13.5年)中、126人に肺がんが発生しました。
肺がんになった方1人に対し、肺がんにならなかった方から年齢・居住地域・喫煙習慣・採血日・採血時間・空腹時間の条件をマッチさせた2人を無作為に選んで対照グループに設定し、合計378人(うち未喫煙者351人、93%)を今回の研究の分析対象としました。保存血液を用いて血漿中イソフラボン類(ゲニステイン、ダイゼイン、グリシテイン、イコール)濃度を測定し、それぞれの濃度とイソフラボン類濃度を足し合わせた総イソフラボン濃度について最も低いグループ(Q1)から最も高いグループ(Q5)までの5つのグループに分け、肺がんリスクを比較しました。
イソフラボンと肺がん
対照グループの血漿イソフラボン類濃度は、ゲニステイン(Q1:<24.8ng/ml、Q5:>151.2 ng/ml)、ダイゼイン(Q1:<8.3 ng/ml、Q5:>72.2 ng/ml)、グリシテイン(Q1:<1.0 ng/ml、Q5:>5.4 ng/ml)、イコール(Q1:<1.0 ng/ml、Q5:>26.8 ng/ml)でした。
解析対象者全体でみると血漿中イソフラボン濃度と肺がんリスクとの間に関連は認められませんでした。しかし、採血から3年以内に肺がんになった人を除くと、Q1に比べて、よりゲニステイン濃度が高い他の4グループで肺がんリスクが低下していました(グラフ)。採血から比較的早い時期に診断された肺がん症例は、診断されてはいないものの肺がんが発生していたことにより食事などの生活習慣や栄養状態がすでに変化していた可能性があると考えられました。ダイゼイン、イコールなどその他のイソフラボンとのはっきりとした関連はみられませんでした。総イソフラボンについては、ゲニステインと同じような関連性でした。
この研究について
今回の血中濃度に関する検討でも、前回報告したイソフラボン摂取と同じような予防的な関連性がみられました。異なる評価法で一致した関連性がみられたことに意義があるといえます。ただし、イソフラボンの血中濃度と肺がんに関しての追跡調査による報告は前例がなく、他の集団でも同じような結果が得られるかを今後見ていく必要があります。現時点では、肺がん予防のためにイソフラボンを多く摂ることを勧める段階ではありません。
肺がん細胞をもちいた実験や動物実験などでもイソフラボンが予防的に働くことが報告されているものの、イソフラボンが肺がんの発生を予防するメカニズムについては今のところよく分かっていません。
ゲニステインはダイゼインよりもエストロゲン受容体への結合力が強いことが報告されており、イソフラボンがエストロゲンの働きに影響を与えている可能性と矛盾がない様にも考えられます。しかし、ダイゼインよりエストロゲン作用が強いといわれているイコールに関しては関連性を認めませんでした。今回のデータではゲニステインの血中濃度がイソフラボン類の中で一番高い(対照群の中央値で2~35倍)ことから効果がよりはっきりとらえられただけかもしれません。
イソフラボンの一種であるゲニステインには、上皮増殖因子受容体(EGFR)キナーゼの活性を抑える働きがあるという報告があります。EGFR遺伝子変異のみられる肺がんで、特にイソフラボンの予防効果が現れるのではないかという研究結果もあります。今後、イソフラボンと肺がんとの関わりを、EGFR遺伝子変異の状況も含めて探求することが、メカニズムの解明にも貢献することになるでしょう。
研究用にご提供いただいた血液を用いた研究の実施にあたっては、具体的な研究計画を国立がん研究センターの倫理審査委員会に提出し、人を対象とした医学研究における倫理的側面等について審査を受けてから開始します。今回の研究もこの手順を踏んだ後に実施いたしました。国立がん研究センターにおける研究倫理審査については、公式ホームページをご参照ください。
多目的コホート研究では、ホームページに保存血液を用いた研究計画のご案内を掲載しています。