多目的コホート研究(JPHC Study)
社会的な支えと自殺
― 「多目的コホート研究(JPHC研究)」からの成果―
私たちは、いろいろな生活習慣と、がん・脳卒中・心筋梗塞などの病気との関係を明らかにし、日本人の生活習慣病予防に役立てるための研究を行っています。平成5年(1993年)に、茨城県水戸、新潟県長岡、高知県中央東、長崎県上五島、沖縄県宮古の5保健所(呼称は2011年現在)管内にお住まいだった、40~69歳の男女約6万2,000人の方々を平成17年(2005年)まで追跡した調査結果(コホートⅡ)にもとづいて、社会的な支えと自殺との関連を調べた結果を論文発表しましたので紹介します。 (J Psychiatr Res 2011年 45巻 1545-50ページ)
社会的な支えと自殺に関する前向き研究
社会的な支えが心の健康に好ましい影響をもたらすことは多くの研究によって示されています。社会的な支えはストレスの影響を和らげ、人生の中で遭遇する危機への対応を物心両面で手助けします。これまでの社会的な支えと自殺の関係についての疫学研究は症例対照研究に限られていました。今回、自殺率の高い日本のデータを使い、社会的な支えと自殺の関係に関する前向きコホート研究を行いました。
研究方法の概要
研究開始時のアンケート調査に回答のあった63,113人のうち、社会的支えに関する質問項目に回答のなかった人を除いた56,537人が今回の分析の対象者となりました。アンケートには、対象者の受ける社会的な支えを「尊重」、「親密」、「社会的連帯」の3つの観点から評価しようという企図にもとづき、いくつかの質問が用意されていました。対象者の得ている「尊重」は「あなたの行動や考えに賛成して支持してくれる人がいますか?(いる/いない)」という質問で、「親密」は「個人的な気持ちや秘密を打ち明けることの出来る人がいますか?(いる/いない)」、「あなたは会うと心が落ち着き安心できる人がいますか?(いる/いない)」の2つの質問によって評価されました。「社会的連帯」は「週1回以上話し会う友人が何人いますか?(いない/1~3人/4人以上)」という質問によって評価されました。これらの質問の回答にもとづいて社会的な支えのスコア(0~5点)が計算されました。
男性では社会的支えのスコアが低いグループの特徴として、年齢、BMI、飲酒率、運動習慣が低く、ストレス、慢性疾患病歴率、失業率が高い傾向が見られ、女性では年齢、BMI、運動習慣が低く、ストレスが高い傾向が見られました。
平均で約12年の追跡期間中に、男女それぞれ127件と53件の自殺がありました。
社会的な支えの高いグループでは自殺リスクの低下が見られた
社会的な支えのスコアが0-3のグループを基準とする自殺の相対リスク(ハザード比)およびその95%信頼区間(破線)の関係を男女別にグラフにしたものを下に示します。年齢、地域、ストレスの度合い(自己申告)、BMI、飲酒、喫煙、余暇の運動、慢性疾患の病歴、処方薬の使用の有無、失業、家族構成といった社会的な支え以外の自殺リスクに影響を及ぼす要因については、その偏りが結果に混入(交絡)しないように、統計的に補正が施されています。男女ともに、社会的な支えの高いグループでは自殺のリスクの有意な低下が見られます。
また、社会的な支えの各要素(「尊重」、「親密」、「社会的連帯」)が自殺リスクに及ぼす影響を分析すると、男女で異なる傾向が見られました。女性では「尊重」の有無を問う質問にそのような人が「いる」と回答したグループでは、「いない」と回答したグループよりも自殺リスクが68%低下していました。男性では自殺リスクの低下は見られたものの統計的に有意ではありませんでした。一方、「社会的連帯」に関しては、4人以上の友人を持つグループで、友人の少ないグループに比べて、男性で44%、女性で35%の低下が見られましたが、このリスク低下は男性でのみ有意でした。
この研究について
この研究の利点として、住民ベースの前向き研究であること、サンプル数の多さ、男女別の分析、潜在的な交絡要因に対する補正が挙げられます。
他方、この研究の限界もいくつか挙げることができます: 1) 社会的な支えの評価は、感情的な支えや社会的孤立に関連したいくつかの単純な質問によって行われたに過ぎません。 2) 社会的な支えは研究開始時の調査だけで、その後の追跡期間中の変化は考慮されていません。 3) 社会的な支えの評価のランダムな誤差によって関係の強さが過小評価されている可能性があります。 4) うつは社会的な支えをめぐる状況と自殺の両面に影響を及ぼすことが予想されますが、それに関する情報は収集されませんでした。 5) 不安障害、人格障害、精神病、薬物乱用、負の感情といった要因の情報は収集されていませんが、それらの要因が関係に交絡した可能性があります。 6) 死因の識別の正確性には留意が必要かもしれません。ただし、この点、日本の公的制度は整っており、自殺に対する社会的忌避も比較的低いこともあいまって、データの正確性は高いと言えるでしょう。 7) 慢性疾患の病歴情報については自己申告によっているので、正確性に問題があるかもしれません。ただし、同一コホートを用いた他のいくつかの研究のなかで検証が行われており、比較的高い信頼性が報告されています。また、慢性疾患の病歴のある者を除いた分析でも、社会的な支援と自殺リスクの関係について大きな違いは認められません。 8) サブグループに分けた分析ではサンプル数が小さくなっており、結果の解釈については注意が必要です。
今回の研究により、社会的な支えは、自殺のリスクを下げるという結果が得られました。特に、社会的な孤立を避けることが、男女ともに自殺の予防に重要な役割を果たし、さらに女性では、自分の行動や考えに賛成して支持してくれる人の存在が大切であるという可能性が示されました。自殺の予防のために、身近な人や親しい人が分断される状況を避けるように配慮し、社会的な孤立が生じにくい体制を整えることの重要さがうらづけられました。