多目的コホート研究(JPHC Study)
既婚女性における社会階層間格差と脳卒中発症リスク
―「多目的コホート研究(JPHC研究)」からの成果―
私たちは、いろいろな生活習慣と、がん・脳卒中・心筋梗塞などの病気との関係を明らかにし、日本人の生活習慣病予防に役立てるための研究を行っています。平成2年(1990年)に、岩手県二戸、秋田県横手、長野県佐久、沖縄県中部の4保健所(呼称2012年現在)管内にお住まいの40~59歳の既婚女性約9300人の方々を平成17年(2005年)まで約16年間追跡した調査結果にもとづいて、本人の教育歴、配偶者の教育歴、ならびに本人と配偶者両方の教育歴を用いた社会階層指標と脳卒中発症との関連を調べた結果を論文発表しましたので紹介します。(J Epidemiol 2012年 22巻 324-30ページ )
既婚女性の社会階層をどのような把握すべきか?
近年、日本においても欧米と同様に健康の社会階層間格差が存在することは概ね一致した見解となっています。実施された多くの疫学研究では社会階層を測定する指標として教育歴、収入や職業をベースにした指標を用いています。しかし、これまで、これらの社会階層指標が日本人においても妥当かどうかは明らかにされていませんでした。
女性の、特に既婚女性の社会階層を測定することは大変困難な作業です。本人の教育歴、収入、職業は女性の社会階層指標としての妥当性に問題があることが社会学の分野で議論されて来ています。1980年代には欧米では、本人の指標(個人アプローチ)の代わりに、配偶者の指標を用いて女性の社会階層を推定する方法(伝統的アプローチ)が提唱されました。しかし、女性の社会進出に伴い、しだいに配偶者夫の指標で代替する方法の妥当性に疑問がもたれることになり、その後、世帯の成人の中で最も高い社会階層を用いる手法や世帯の成人の指標を合成して作成した世帯指標を用いる手法(組合せアプローチ)などの健康格差研究における指標の妥当性についての検討も行われています。
ある欧米の研究では個人アプローチ(本人の職業階層指標)ならびに伝統的アプローチ(配偶者の職業階層指標)によって測定した社会階層と心筋梗塞死亡リスクの関連を分析した結果、伝統的アプローチの方が、個人アプローチを用いた場合と比較して心筋梗塞死亡リスクと強い関連がみられ、女性の社会階層を示す指標として、伝統的アプローチを用いたほうが、より妥当な結果であると報告しています。これに対して日本の疫学研究における社会階層指標、特に既婚女性の社会階層指標の妥当性はほとんど検討されておりません。
今回の研究では、研究開始時に行った最終学歴に関するアンケートから、本人の教育歴(個人アプローチ)また配偶者の教育歴(伝統的アプローチ)を3つのグループ(①中学卒業、②高校卒業、③短大、専門学校、大学以上)に分類し、それぞれのグループの脳卒中の発症リスクを比較しました。
本人の教育歴(個人アプローチ)より配偶者の教育歴(伝統的アプローチ)の間で、既婚女性の脳卒中発症リスクの格差が大きい
本人の教育歴を用いた個人アプローチでは、中学卒業グループと比べ、高校卒業のグループの脳卒中発症リスクは約半分、短大・専門学校・大学以上の高学歴グループは同じという結果でした。これに対し、配偶者の教育歴を用いた伝統的アプローチでは、中学卒業グループと比べ、高校卒業のグループの脳卒中発症リスクは約半分、短大・専門学校・大学以上の高学歴グループの脳卒中発症リスクは約30%低いという結果でした。(図1)
また、社会の中で最も低い社会階層の人と最も高い社会階層の人の健康格差(ハザード比)を推定するRelative index of Inequality (RII) を算出すると、本人の教育歴と比較して配偶者の教育歴を用いた場合の健康格差が大きいことが示されました。
この関連を就業状態別に調べると、伝統的アプローチを用いた場合、就労している女性としていない女性では配偶者の教育歴による脳卒中発症リスクの関連が異なりました。就労していない女性では個人アプローチと同様に高校卒業群のリスクが最も低いU型の関連が見られますが、就労している女性では配偶者の教育歴が高いほど脳卒中発症リスクが低いという関連が見られました。(図2)。
本人と配偶者の教育歴を合成した社会階層指標(組合せアプローチ)と脳卒中発症リスクの関連
次に、本人と配偶者の教育歴を合成した組合せアプローチによる社会階層指標を作成し、脳卒中発症リスクとの関連を分析しました。本人と配偶者の教育歴をそれぞれ中学卒業群と高校卒業以上群の2群に分類し、その組み合わせにより①本人・配偶者ともに中学卒業、②本人は高校卒業以上・配偶者は中学卒業、③本人は中学卒業・配偶者は高校卒業以上、④本人・配偶者ともに高校卒業以上に分類して、脳卒中発症との関連を検討しました。
組合せアプローチを用いた場合、本人と配偶者ともに中学卒業群と比較して、ともに高校卒業以上の群の脳卒中発症リスクは約半分であり、教育歴が高い群ほど脳卒中発症リスクが低いという関連が見られました。(図3)この関連は就労状況別にみても違いは見られませんでした。
健康の社会格差把握のための課題:妥当な社会階層指標の構築
今回の結果から、既婚女性の社会階層と脳卒中発症リスクとの関連の強さは把握方法によって異なることが示されました。3つの把握方法の中では、組合せアプローチが脳卒中発症リスクとの関連が強く、就労の有無に関係なく妥当性が高い指標である可能性が示されました。研究で最も頻繁に使われる個人の教育歴は既婚女性の社会階層を充分に把握できず、その結果、健康の社会階層間格差が過小評価される可能性が示されました。日本社会に沿った社会階層指標の作成は日本における健康の社会格差把握にとって重要な課題の一つです。社会階層の成り立ちや社会階層による健康格差生成のメカニズムを理解した上で、より妥当な指標を作成し使用することが重要であると考えます。