多目的コホート研究(JPHC Study)
長期的な粒子状物質への曝露と循環器疾患の発生および死亡との関連について
-「多目的コホート研究(JPHC研究)」からの成果報告-
私たちは、いろいろな生活習慣と、がん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病などの病気との関係を明らかにし、日本人の生活習慣病予防に役立てるための研究を行っています。
平成2年(1990年)と平成5年(1993年)に、岩手県二戸、秋田県横手、東京都葛飾、長野県佐久、沖縄県中部、茨城県水戸、新潟県長岡、高知県中央東、長崎県上五島、沖縄県宮古、大阪府吹田の11保健所(呼称は2012年現在)管内にお住まいの方々に、アンケート調査の回答をお願いしました。そのうち、一般環境大気測定局がある9保健所管内の40~59歳の男女約8万人について、その後平成20年(2008年)まで追跡した調査結果に基づいて、粒子状物質曝露と循環器疾患の発生および死亡との関連について調べた結果を、専門誌で論文発表しましたので、紹介します。(J Atheroscler Thromb 2013年 20巻 296-309ページ)
空気中には自動車排ガスやばい煙などの非常に様々な粒子(粒子状物質)が浮遊しています。欧米では、高い濃度の粒子状物質にさらされていると(粒子状物質への曝露という)、循環器疾患による死亡リスクが高まる可能性が報告されています。日本において、長期的な粒子状物質への曝露と循環器疾患による死亡との関連を調べた2つの報告は、いずれも関連を認めないというものでした。この理由として、日本と欧米の循環器疾患の構造の違う事(日本は脳卒中が多いが、欧米では心筋梗塞が多い)、粒子状物質の成分が異なる事が上げられます。しかしながら、日本人を対象とした知見は不足しているので、今回、多目的コホート研究(JPHC研究)のデータを活用して、粒子状物質への長期曝露と循環器疾患の発生および死亡との関連を検討しました。
粒子状物質の濃度は、大気汚染防止法第22条に基づいて、環境大気の汚染状況を常時監視(24時間測定)している一般環境大気測定局が測定したデータを利用しました。日本で測定されている粒子状物質は、Suspended Particulate Matter(SPM)と呼ばれる大きさ10μm以下の浮遊粒子です。ベースライン調査年から追跡終了年までの年間濃度を平均しました。
粒子状物質と循環器疾患による死亡リスクとの関連
追跡期間中に、循環器疾患による死亡1,464名を含む5,597名の死亡が確認されました。
粒子状物質の濃度が10μg/m3上昇した場合、循環器疾患による死亡リスクが何倍になるか示したのが図1です。粒子状物質の濃度上昇に伴い、虚血性心疾患(心筋梗塞など)の死亡リスクが高くなる傾向を認めましたが、統計学的に有意ではありませんでした。一方で、粒子状物質の濃度上昇によって、脳卒中による死亡リスクは減少していました。我々は、粒子状物質への曝露が肺がんの発生につながる可能性が指摘されていることから、粒子状物質と肺がん死亡との関連(肺がんによる死亡は507名)についても調べてみましたが、関連を認めませんでした。
粒子状物質の濃度が上昇すると、心筋梗塞の発生リスクが上昇する可能性
粒子状物質への曝露と循環器疾患の発生との関連は、循環器疾患の発生情報が得られた7保健所管内で検討しました。2005年までの追跡期間中、2,720名が循環器疾患を発症しました。
先ほどと同様に、粒子状物質の濃度が10μg/m3上昇した場合、循環器疾患の発生リスクが何倍になるか示したのが図2です。高濃度粒子状物質への曝露によって心筋梗塞の発生リスクが上昇していました。その中で健診データが利用可能であった約4割の参加者については、心筋梗塞の発生に強く影響する、血圧、脂質、血糖も調整因子として考慮しましたが、心筋梗塞の発生リスクが上昇するという傾向は変わりませんでした。とくに、喫煙者あるいは女性で強い関連を認めました。ただし、秋田県横手保健所管内の参加者データを除外して解析すると、関連はなくなりました。
脳卒中については、死亡の解析と同様に、粒子状物質の濃度上昇に伴い、脳卒中の発生リスクが低下していました。脳卒中を、脳出血、脳梗塞、くも膜下出血と病型に分けて検討しましたが、いずれの病型も発生リスクが低下していました。また、粒子状物質への曝露と肺がんの発生(肺がん発生は512名)との関連も検討しましたが、肺がんによる死亡と同じく、関連を認めませんでした。
この研究について
日本人の中高年男性・女性を対象としたこの研究において、長期的な粒子状物質への曝露によって、心筋梗塞の発生リスクが上昇していました。この結果は、アメリカ以外の国から初めての報告です。とくに、喫煙者と女性は、高リスク集団である可能性が示唆されました。しかし、1地区を解析から除外すると関連が消失することもあり、今後さらに注意深くこの分野の研究を継続していく必要があります。
この研究にはいくつかの限界があります。一般環境大気測定局は、1つの保健所管内に1つしかなく、1つの保健所管内の参加者は全て同じ濃度の粒子状物質に曝露されていると仮定しました。専門的には生態学的研究と言って、地域間の比較を行ったにとどまっており、地域内の経済格差、個人の食習慣の違いなどについては考慮できていません。予想しなかった結果(粒子状物質の濃度上昇に伴う脳卒中のリスク低下)を観察したのは、こういった因子を考慮できなかったことが原因ではないかと考えています。また、日本でこれまで測定されてきた粒子状物質(SPM)は、他の国で測定されている粒子状物質(PM2.5やPM10)とは定義が違うので、諸外国の研究結果と比較する際には注意が必要です。日本でも2009年にPM2.5の環境基準が設定され、測定がされるようになりましたが、過去のデータがないのでこの研究では解析できませんでした。
粒子状物質への曝露が、どのように循環器疾患を発生させるのかについては、例えば、自律神経への影響、酸化ストレスの亢進、あるいは全身性の炎症反応が血管内皮の機能不全、血栓形成や動脈硬化を導く、などの指摘がありますが、そのメカニズムについてはまだはっきりしていません。今後、さらに人を対象とした疫学研究に加えて、メカニズムを明らかにするような実験研究なども積み重ねていく必要があります。
なお、今回の研究がスタートした1990年代と比べると、環境行政の取り組みなどによって、大気中の粒子状物質濃度は減少してきています。現状の濃度でも健康影響があるかどうかについては、今後検討していかなくてはなりません。